感情(1)~密教的発達の一番の妨げとなるもの
理性と感情
「今日は、密教的発達をとげる場合に一番の妨げとなるものについて話そう。"妨げる"と言っても、ただ、人間がその制御支配方法を知らないから妨げとなるにすぎないのであるが、その妨げとなるものは"人間感情"である。もろもろの人間感情が人の修業発展を妨げるのは、感情が屢々人間の理性をくらまし働かなくするからである。理性の作用が抑圧されれば、感情がその人を百パーセント支配するというわけである」
「今の人類の現在の心的発達程度では、人間は多かれ少なかれ感情のとりこになっている。いつだろうと、理性の力が弱まったその時は、必ず感情がその人の心を支配し心的平静を失わせてしまい、理性が心の主となっている時には絶対にしない様な愚行をすることになるのである」
自分自身の密教的発達(自己意識のレべルアップ)において、自己感情の制御は基本中の基本であると理解する。
自己感情の制御ができなければ、自己意識のレベルアップはできないからだ。
自分の感情のままに動くということは、我の自分のままに動くということである。
感情=自分となっている場合、感情制御は悉く失敗するだろう。
なぜなら、自分の感情に自分が支配されているからだ。
冷静になった時、「なんであんなことを言ってしまったんだろう・・」と後悔しても遅い。
感情のままに動いてしまったことで、取り返しのつかない結果を招いてしまうこともある。
いくら自分を正当化しても、感情的になることは自分自身を節穴状態にすることである。
なぜなら、感情が前面に出ている間は、理性は引っ込んでしまうからだ。
そうなれば、物事の本質を理解することも、そのために必要な情報を聞くこともできなくなる。
自分の感情に捉われて何も見えておらず、大事なポイントもつかめず見逃してしまう。
これが意味するのは、感情的になることは恐ろしい自滅行為だということである。
ゼロン大師は「理性の作用が抑圧されれば、感情がその人を百パーセント支配する」と言われている。
百パーセント支配されてしまうのだから、自分の感情(ネガティブ感情)に自分が簡単に乗っ取られ、感情のとりことなってしまわないように自分を見張っていかなければならない。
私自身の道理と訓練
以下は、辞書で調べた「理性」の意味である。
・感情に走らず、道理に基づいて考えたり判断したりする能力。
・論理的、概念的に思考する能力。
・善悪・真偽などを正当に判断し、道徳や義務の意識を自分に与える能力。
私自身の道理は「聖者の教え」である。
聖者の教えは真理方向であるから、真理の方から見て答えを出していくという訓練をしていく。
この世と同じレベルで見ていても、自己意識は少しも向上していかないからだ。
これをやっていくには、感情的であってはやれない。
我の自分がしゃしゃり出てくるようでは話にならないということだ。
これは自分の内的世界においてのことであり、自分自身がやることである。
この世と関わっていても、この世につながることはやらないように訓練をしていくのである。

★引用書籍
『秘教真義』第1部 聖者の教え:十「感情」より