感情(3)~感情の支配と聖なる理性の発動

聖者の教え

感情の支配が必須なのは、それが法則だから

「自分の感情を支配している人は、自己の理性の力をより充分に使うことが出来る。人間は自らの理性を充分に働かすことによって、自分達の人生そのものは、"理性の力によって被造物を創造した神"そのものを指向しているのだということを悟るであろう。また、もし、神が感情的に右往左往動揺ばかりしていたとしたら、神の指示とか法則とかいったものがいつも変更ばかりしているわけだから、この宇宙には一定不変のものは何も出来なかったであろうということも分ってくるであろう。感情支配の出来る人はまた、神は法則によって働いているのであり、その法則が人間を束縛しているのと同様に神自身をも規制しているのだということが納得できる様になるだろう。そしまた、神自身も法則に従うのでないと、法則に基礎をおいて存在している凡ての創造物が分解消滅してしまい、混沌たる原始的暗黒のみが全宇宙を支配する様になるであろうということも、直ちに理解できる様になるのである」 

神は法則に従い、法則によって働いている。
法則は人間だけでなく、神自身をも規制している。
この聖なる秩序に気づくことができれば、自らも法則に従い人生を生きる意味を自分自身に説明することが可能になるだろう。

だが、自分の感情を支配できなければそれはできない。
なぜなら、人間感情は自分の気に入ったものだけを好むからだ。
感情の好き勝手にさせていては、法則に反する行為の結果で自らを貶めることはしても、神(真我)を求める理性を発動させることはできない。

自分の感情を支配することは難儀だからやりたくないといった理由で、感情の支配をやらずに神(真我)と一体となれる方法や手段を探し求めている人もいるかもしれない。

だが、そのような方法や手段はないのだ。
感情の支配が必須なのは、それが法則だからである。

法則を無視して、神(真我)と一体となれる方法や手段を探し求めて右往左往することに時間を使うよりも、法則を理解し、法則に従い一歩一歩前進していくための努力に時間を使うことを私は選ぶ。

聖なる秩序に反する自らの行為は、少しも神方向へと進んでいくことはできないだけでなく、神とは逆の方向へと進んで(堕ちて)いくことになるからである。

自分が真剣にやるかどうか

「理性が目ざめ、悟った人は、神の凡ての創造物について、神と共通的な理性という一つのものを使っているのだから神の様になることが出来るのである。この様に理性の力によって人間は、凡ての存在の根元に近づき、遂には神と調和し、神と一体となることが出来るのである」

ゼロン大師は、「神と共通的な理性という一つのもの」と言われているが、現段階の私として、これは「神(真我)との一体化を目指す真剣さ」であると理解する。

未熟な自分が神(真我)側と繋がれる、もしくは認めてもらえる唯一ものは「自分が真剣にやるかどうか」なのである。(本当の答えはこれしかないのだ!!)

だからこそ、自分の感情の好き勝手を許していてはダメなのである。


★引用書籍
『秘教真義』第1部 聖者の教え:十「感情」より

Posted by 晴音